quinta-feira, 5 de novembro de 2009

4.卵を5円に引き下げましょう

 米の増収と価格の引き下げに、根本的に大きな役割を持つものは養鶏です。
 私はいろいろの農法の一端を聞き齧り、自分でも数年間百姓の真似事をやって見て、いよいよ、ますますその必要を感じ、今なお次々と気付きつつあることは、植物と家畜の密接不離の相関々連で、特に、米−鶏−土−米の因果循環です。鶏に米の合う事は数十年の実績から断言出来る事で、健康・産卵・肥育に適し、米で造った卵肉は、味と香気と滋養等品質が特に優れ、雛の発育・・色沢の目醒ましい事も、本会員諸氏の素晴らしい成績が立証している通りです。
 米がそのうちに生産過剰になりますが、その時は牛・豚・鶏に与えれば、美味良質な卵肉が最も経済的に増産されます。
 果樹・果菜・芋類・穀類・花卉・茶・桑園・牧草等に鶏糞の肥料効果の著しい事、土地を肥沃にすることは、今更喋々する迄もありませんが、米不足の問題は、既にこれによって解決していると云っても、過言ではありません。今更山野を開墾して稲を植えなく共、現在の稲作面積で充分で、寧ろ山間部の何畳敷かの三日月田は、近く整理転換すべきでしょう。果樹もあり、飼料作物や
植林も考えられ、如何に精神生活の得意な日本人でも、労働生産性の点も少しは考えて、米さえ穫れたら良いとしない事で、鶏や牛の餌を造って、乳や卵肉で栄養の均衡を図ることだと思います。
 稲作と鶏については、常々研鑽会や色々の機会に云って居ますし、会員諸氏も実験済で、釈迦に説法で叱られそうですから止めますが、唯鶏糞の用い方を知らないと、稲が食傷することがあり、病虫害や倒伏の損害賠償を持ち込まないよう、よく勉強され度いです。私の浅い経験では、土質にもよりますが、多施する程増収し、今の耕地で一億人位の米は確保出来る筈だと云えます。
 それだけ米を増収するためには、それに合う農法によること勿論で、又それに合う羽数の鶏を飼養し、又その鶏を飼う飼料を、その耕地等で栽培することです。
 農法を改め、養鶏法をそれに合わすと、鶏卵が一個5円以下になっても、快適な経営が続けられます。手の要る養鶏法や、忙しくなる農法は、二兎を追う愚人の処作事で、私は他人にすすめる勇気がありません。
 5円と云うのは、今日の物価指数をこのままにしての事で、この位の値頃になると、商人も工員も一般所得や給料の低い人達の
食卓を賑わし、弁当に、菓子の原料に、遠足に、無限に需要は拡大され、生産過剰の心配もなく、国外へ引き合いが付くと思いますし、農家も消費者も、美味で安価で栄養完全の蛋白食に、健康を増し、活動的となり、米の消費量は激減します。
 こればかりは、老人も子供も病人も、一般全大衆の食と健康と家計を好転し、たかが養鶏位と思わずに、僅か一個の鶏卵にも、自他を豊かにする大きさを知り、生産するにも販売するにも食べる時も、お互いの心を通わせ度いものです。
 生産者は自分の儲けのみ考えずに、卵価を下げて消費者に楽になるよう心して、安く売っても引き合うように、生産費を引き下げ、成績を上げ、興味本意の経営を楽しみとします。
 消費者は安い卵で生活を豊かにし、財産を積む事のみに専念せず、各々の仕事の方に専念し、工員は一番よい工員として、よい生産品を造る事に専念し、官吏公職員も、有能・公正に、教育者も、食うための職業とするよりも、教え子がそれぞれ自分より立派になり、老後に慕って訪ね寄るような、楽しい真の教育者になることです。宗教家も、自ら神仏になろうと無理をせず、生活も亦安定するから、金襴袈裟衣や伽藍の威殻を抜け出して、肉食妻帯の真の人間となって、社会浄化に打ち込む方が心の呵責に嘖なまれず、砂噛む思いでお経を読むよりも、自他を幸福にするものだと私は思っています。
 本会で農家には、農業養鶏を推奨し、宗教家や教育家は、人生養鶏を実践され、生きた教育・宗教を現社会に直結して、現世よりの幸福社会を実現しようと東奔西走、真の宗教・教育家としての道に精進されつつあります。

Nenhum comentário: