quinta-feira, 5 de novembro de 2009

6.養鶏技術について

 私が云いかけて云わないのが、トテも気になるらしい。云いかけて云わぬのなれば、何も始めから云わない方がよいし、モー奥が無いのに人を引っ張って置くために、勿体づけて、まだ有るように見せかけているのだとか、養鶏の方が種切れになったから、精神面の話でゴマかしているとやら、何辺研鑽会に出ても、同じ話ばかりで嫌になり、何も聞いて役立つような珍しい話が無いから出席しないとか、そのうち躓いて泣きついて来ると、ソレは治ってケロリと忘れ、そのうち迷いが又始まって、又外の事でつまずいて来ると、その事に触れずに、お説教を押し付けられたり、雲を掴むような話で、煙に巻いて、腹を立てなと云っていながら腹を立てさすし、オコられる(オコっているのでしょうか)と云います。
 卵を産まぬ、大損さされたとカンカンになっているとか、(面と向って、直にドンと当って来られないクセに、蔭弁慶共が)アリャ駄目だから二回給餌がよいとか、三回にしたとか、自分の鶏のみで足らずに、粗飼料が、自家配合がと、閑な一部の例外や、自分の特別の場合を他人に迄勧めて廻り、後の責任はどうなさるか知らぬが、御自身の未熟な技術や、頭の悪さを自己宣伝に力め、乾燥一回給餌で、一番儲かる方法の勉強を共にせず、練り餌がよい、生魚屑はよく産むとか、中には白レグが、バタリーがと、憐れな欲無しが、だんだん型を崩しいよいよ複雑に、ますます忙しく、或る人達より出来ない面倒な型へと普遍化の逆車を推して鶏に奉仕し、自分の足下を自分で崩して気が付かない迂濶者が、追々と湧いて来ましょうし、現に方々に、他からの逆宣伝と呼応して、賑やかになりつつあります。
 これも予想に織り込まれた一時的現象で、こうしたウィルスも、やがては事実と云う太陽に照らされて消滅し、真実の人達の前にひれ伏すことは決定しています。
 生物は愛の心で飼わねばならぬのに、儲け道具と考えたり、腹立てて飼ってうまく行きますか。損するのは誰ですか。あなたでも毎日怒っている主人の下で、気持よく働けますか。能率が上りますか。牛を見なさい、飼い主の性質と見並べて。憎んで腹立てて育てた継子がどうなりますか。日々の新聞は、愛に飢えた継子が飯の種ですよ。
 力に余る大きな鶏舎を建てて手を焼いている人は、腹が立ったら胸に手を置き沈思黙考黙考。私は自分で仲々行なえてはありませんが、自分に一番厳しかれと念じ、身に近い者程厳しく、愛の鞭か、憎しみの鞭かを静かに味わってみましょう。
 この養鶏法は、何も知らない素人が初めてやれば皆育ち、よく産みます。話を聞く時、耳が立ち目が光っている。何回でも聞きに来ますし、素直に受け入れます。成績のよいのは当り前で、親の肩車で川渡りしている童子のようなもので、自分で渡ったと他愛なく空威張りし、二年目になるとそろそろ巧者が入り、気弛み
が出て三年目になると雑音やら、おれがの我がノサバリ出し、母が馬鹿に見え出し、常識やら悪友に誘われ、粕理屈や本や雑音のうちから、モットよい手がありそうと、取捨選択で自惚れ欲を満たさんと、欲に欲が出る、足が浮くで、鶏病にしても云われるままにして居れば殆ど出ないし、出た処で、会に依って居たら治して貰えるものを、敷居が高くて来られぬままに、片言覚えの素人療法で治らぬとて、インチキ呼ばわりしたり、知ったか振りして他人の鶏を殺して赤恥かいたり、身の程知らぬ憐れさで、自ら掘った落とし穴に踏みかぶって、親に不足を云って来るし、くさし廻ります。甘い養鶏法か、辛い養鶏法か、そんな近目で見通せるものですか。
 練り餌でやったり、生魚屑で回数給餌の臭い手の込む昔の拙い養鶏法に転落し、そのうち気が付くことは、三年前に聞いた事を思い出して舞い戻りますが、こんな多情者は又家を飛び出し、後は野となれ山となれで、法界坊の成れの果てを、並木の松に晒すこと必定です。初めは、云って貰った通り一貫してやりますと約した初さは何処へやら、何しろ心の置き場所が間違っていて、母の心も知らないで、人がやらないうちに一儲けしようと焦り出し、焦るから目が見えなくなり、だんだん下手になります。自業自得とは云い乍ら、大きな安全な道があるのに、近道しようとして怪我をします。この会は自分一人儲けをささない約束通り、今に地方から自給飼料の5円の卵が押しよせて来て、アップアップで溺れますよ。地方では何故安く出来るか聞きに来なさい。その訳を説明して上げますよ。娘売ろうか鶏飼おかの真剣な疲れた農村の実状を。
 不心得者の限って、自分の伸びる邪魔するなと、他の地方の乏しい人達に拡める事に反対し、会を崩し、自分の足もとの国をつぶしにかかります。本会もそろそろ、こんなのが湧いて来る季節に入りますよ。いやなら会から、さっさと離れる事で、養鶏も全国に広がったし、一卵革命やら、長居していると何が起るか、今の中ですよ。

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