quinta-feira, 5 de novembro de 2009

三 構成員 2.十人のメンバー

[1956.1.5.以後オールメンバーと改称]

 幸福会員は、自己も共に物心両面の豊満を得つつ、理想社会の実現に協力する(いわゆる金を儲け乍らの)人ですが、十人のメンバーとは一応、自己に対しては、物や、地位や、名誉等を考えずに、「命までも打ちこんで」、理想社会の実現に傾倒する人を指します。
 しかも誰からの、命令で動くものでなく、自発的に自分の信ずるままに、自己を最も有意義に生かすために、自覚・納得の上で報酬を省みない(タダ働きになる)事を無上の喜びと感ずる人でなければ、資格がありません。
 完全メンバーと、半メンバーと云うと変ですが、完全メンバーは自分に一番きびしい事で、四六時中それのみに没頭出来る人で、世界中の誰よりも貧乏になることを承知で、零迄覚悟して、誤解する人達(誤解の起らないよう極力避けますが、それに洩れた人)からどんな疑いを受けようが、悪罵讒謗にも怯まず、敲かれようが真実に生き通せて、自分の生命・生活さえも無関心になれて、有れば着る、無ければ着ないし、家も財産もある間は使うが、無くなっても惜しくない、無くなることを当然と心の用意が出来て、食もあれば食べる、無ければ食べない、他からの奉仕や、心にもないおつき合いの寄進とわかれば、箸もつけない厳しさが実践出来る人でなければ、資格はありません。
 死を惧れているようでは、完全メンバーにはなれません。財産と云うものは、これだけ無かったらの限度も無く、原爆一つで家内中飛んでしまうのですし、いずれ一度は死ぬのですが、それを気にしている人もあるらしいです。成り度く無い人は成らなくてよいのです。完全メンバーが十人寄れば、日本位は引っ繰り返せますし、日本が変れば、やがては世界中が一緒になりますが、押し付けて出来る訳のものでもなく、皆自覚から出発するもので、十人のメンバーに成ろうと、成るまいは各人の自由意志にあり、成って下さいとか、成ってはいけませんとか、他から支配する何物も居ない筈です。
 自分でやろうと思えば、女でも男でも青年や老人も、学のある無し、不具病弱者も、自分一人でやってもよいのですが、同じ思いの者が相寄って相談し、よりよい方法を見出して、共に調整協力して、大きな力で実行すると益々その効果を高め、真実世界実現が早められます。十人より百人の方が何十倍か早められますから、速やかに同志が相寄ることで、現状の如く今迄にない会合結束が、固められつつあるのです。そうしてたえずメンバー研鑽会をする事です。半メンバーと云うのは、全面的には成り切れない人で、家族の都合や、自分の意志で或る程度に生活や財産を固め乍ら、程々に十人のメンバーの活動をする人を指します。
 十人のメンバーと云っても、誰と誰とがそうであり、誰が半メンバーだとか、特定の人を云うのではなく、自己を零にしてその活動に没頭している間の人の呼称であって、一時間或いは二時間メンバーもあるわけです。
 十人のメンバーは何をするかですが、不幸な人を一人も無くし、物心共に豊満な理想社会を造ることを仕事とするもので、幸福会員を世界中に充満させて、それ等の人々が、幸福な人生を送れるように仕向ける役割をするのです。
 誰でもが、幸福人になり易い環境を造るのが一役で、完全幸福会員第1号か、それに近い人が出来れば、モデル会員としてそれを広く紹介して右へ習えで、続々物心豊かな人が出来るように奔走する役割をし、それ等の人が逆コースを取らなくて、円滑に幸福生活が続くよう、補佐の役目を果します。
 こうして一村の気風を根底から変えて幸福村にし、地上の各地に幸福のキッカケ(端緒)を造り、それが次々と伝播して広がり、世界中が幸福人で埋まれば、物は溢れ、親愛の情溢ぎり、侵すものなく、護る要もなくなり、十人のメンバーも無用解役になり、物心の幸福会員の列に共に並び、幸福一色となり、幸福の言葉さえなくなります。
 山岸会は実は幸福世界実現の為の会で、幸福会と呼ぶのが至当であるが、今はその過渡期にあり、私は何れ会名変更について提案するつもりです。
 山岸会の呼称はそのうちに「幸福会山岸会」となり、時期が来れば「幸福会」となり、会の使命が達成されたトタンに、その社会は別の名で呼ばれるようになりましょう。
 十人のメンバーは誰にもたのまれずに、自分勝手に、幸福人を造り護る活動行為をしている間の人を指します。したがって、そうすること自体が自分の喜びで、他から報酬やお礼や感謝の言葉もない筈で、万一他から不平等云われたら、自分の活動が間違ってあったか、到らなかったものと、反省する用意をしてかからねばなりません。
 今の世の中には、小利は見えるが大欲の解せない人や、真実を掴み得ない人がウヨウヨしていまして、自分流の観方で誤解したり、負け惜しみを云ったり、一寸都合が悪いと不足に思ったり、疑ったり、腹を立てたりして、直接よく突いて来ない小人共も沢山居ますから、そうした人を隣愍の情で迎える覚悟が無かったら、初めから十人のメンバーにならない事です。

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