鶏鳴によって日本の夜が明けたとの伝説は、まん更根も歯も無い造り言だと云ってしまうには、何だか惜しい感愁が残るのは、私ばかりではないでしょう。
作者の頭のよさか、在来種の鶏の頭がよいのか、在来種が何時から日本に居たのか、何れにしても洋種と云われるレグホーン等は、宵のうちから真夜中でもよく鳴いて、不吉の兆だと迷信家に忌み嫌われていますが、日本種は大体一番鶏、二番刻と性格に黎明を告げます。
兎に角日本肇国を、これに結び付けると、当て嵌まることは事実です。
私は今の世を、夜の世界だと云い度い程混濁し、間違い・怒り・紛争・苦悩が多過ぎると思います。
特に日本は戦争で物を無くし、生命を無くし、世界からの尊敬・友好・自由をなくし、堅持して居た高い誇りを失ない、社会気風迄荒び果て、経済的に精神的に顛落し、乏しい小島に自信・希望・目標・生活に不安定の日夜を犇めいています。
この不満・不安定の夜の地に、明るい希望に満ちた晨を呼び醒そうと、鶏が登場することは聊か伝説じみるのです。
そのかみ農業立国等、これも誰が云ったのか私には判らないのですが、日本農業の現状はどうでしょう。自国の食糧・飼料迄他から仰ぎ、綿・羊毛も他に依存し、家を建てる用材も、薪炭にも事欠く有様です。
これも戦前からの事ではありますが、何とした事でしょう。果ては人の口が多過ぎるからだと他所から忠告されて、アアそうだったかと、今更乍ら人減らしの相談・計画。それも悪くはなかろうが、人には口もあれば手もあり、頭もあり、蛙や虫けらでも食べているのに「一寸辱しいじゃあまへんか」です。泣言云ったり、意気地のないこと止めまして、ここらで一休みして頭の使い場、脳味噌の出し場所と、お互いの瓢箪頭、茄子頭やら 頭と、頭の品評会でもやりましょう。生命の糧の米麦を、瑞穂の国が輸入せねばならぬとは、百姓の面目何処にありやです。肥臭い頭を洗って、硬い頭を揉み軟らげて、出直しましょうよ。
quinta-feira, 5 de novembro de 2009
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