quinta-feira, 5 de novembro de 2009

3.自己弁明 −人物を切り離した批判を−

 信仰生活に入り、神仏等を信奉している人の言行は、概ね正純で社会の浄化に役立ち、自他の幸福感を培っています。
 併し又一面観察が、善意的に傾きやすく、ために時折私迄も特別人間扱いされて身の置場に困り、挨拶の言葉に窮することがあります。
 本当は次に来る社会では、人並位の自信はありますが、到底尊敬に値しませんものですし、今迄の社会通念から観ると、脱線・反逆・恩師らずの不徳漢で、誇大妄想狂の食言屋として、ひとまえへ出られる資格なく、まして人に教え導く柄でない事を自認しています。
 私の場合、実質以下に、悪しざまに見られる事は、却って先の楽しみがある位で、襃貶を気にしませんが、神がかり的に見損ったり、よく見過ぎられると、ただの人間以下の現実に、期待外れの危なさがあり、物事の判断を誤る原因ともなります。
 私の言動や諸説や、このヤマギシズム社会構想に対しても、私は私なりの考え方から、確信を持って行なって居る迄ですから、これを以て最上決定的なものと思い込まずに、又貴方の今持って居られるものと、一致しないから駄目ともしないで、相体者と、条理とを、切り離して考察される事が大切で、人物を通さずに、盲信しないで、厳正な批判の眼で検討し、容赦なく叱正され度いです。好意や悪感情等、自己が混じると、純な結論が出ないです。
 私に対してインチキだとか、売名だとか、政治的或いは思想的か、何か奥に野心がありそうだとか、金儲け会だ等と云いふらす閑人があり、その宣伝効果から、会に関心を持って寄って来る人も、日に多くなりつつあります。会に来て実態を知って、宣伝した人の人柄や、程度の低い事や意図が初めて判り、ミイラ取りがミイラになったと、即時入会してかえって深入りする人が多いです。
 そう云う噂を吹聴する人の頭の程度や、人格の低い事は間違いはないが、中には私の深奥にあるものに対し、何かを、それとなく感じて怖れをなしているらしいのもあります。金儲けの会だとは、よく云いあてています。会そのものは一銭たり共儲けませんが、又会の何かの係役をしている人も、会から今迄に一銭も給料を貰っていませんが、会員には物心共に、大いに儲けて貰うための会に相違ありません。
 私は政治に対しては、内外共に重大なる関心を持っています。又自ら地球上に生存する一人としての政治意欲も、大いにありますが、政談やラジオを聞く暇が殆どなく、自慢にはならないが、三ヶ月間新聞を見なかった事もあり、見たり見なかったりの世間知らずで、貧乏人は麦を食えで名を成した池田蔵相が、疾くに罷めているのも知らずに、講演会で喋って笑われた程で、今の大臣でバカヤローで有名な吉田さん以外は、本当に知りません。
 そんな風で頭は悪く、今日足下の事では、時代にずれている上に、私には私の柄相応の仕事があって、政界等に一歩も出る自信も時間も持ち合わせていないのは事実で、野心があったら、十年前の機会に出た筈で、今の政治構想に期待して居りませんから、この点に関しては、やぶにらみでしょう。
 又私の思想について憶測される人もありますが、私として、青少年時代より一貫して持ち続けているものがあります。ハッキリした思想であり、時代に相容れかねるものがあることも、知っていますから、私はそれを強引に暴力で押し付けよう等、考えた事は一度だってありません。又それは暴力では絶対に成就しない事も、自覚して居りますし、今全部を発表する時機でもなく、時間的にも不可能な事で、歿後に気付いた人達によって、二百年以内には完成される予想の下に、余命のある間に書き綴っているのですが、たまたま私の稲作から養鶏を見付け出した人に引き出され、伝えられた稲作なり養鶏法そのものが、ヤマギシズム社会の縮図で、自然私の思想を感じとった人々の思想と、相一致する多くのものを見付け合い、相共鳴して出来たのが、山岸会なり山岸式養鶏会で、自然と人為の調和を基調とした思想です。
 私の書いたもの、言ったもの、これから出すものによって、危険な思想かどうかは、零位哲学的に、真理の究明が出来る人には、およそ見当がつくと思います。インチキ云々については、説明するさえ時間が惜しいです。そうかどうかは、各自の瞞されないよう警戒し乍らの観察に、一任しておきましょう。時が答を出しますから。人徳が無いからこんな無駄書きするのです。
 主観を捨てての一言で済まされないものを感じて、繰り返して置きましょう。
 私は私としての理想を描き、理想は必ず実現し得る信念の下に、その理想実現に生きがいを感じて、明け暮れる日夜は楽しみの連続です。家が傾こうが、債鬼に迫られようが、病気に取り付かれても、将来誤った観方をする人達から、白州に引き出されようとも、先ずこのよろこびは消えないで、終生打ち続く事でしょう。欠点や間違いに対しては、正面から指摘される事を待っています。

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