quinta-feira, 5 de novembro de 2009

8.幸福一色 快適社会

 ここに云う幸福の意味は、不幸に対しての対句ではなく、人生は快適であり、幸福一色であるべきを、真の人生のあり方とする、私共の人生観から云っているもので、万一不幸と感ずる事があるなれば、それは何処かに間違いがあり、その間違いの原因を探究し、取り除くことにより、正しい真の姿に立ち還えることが出来るのです。
 幸福が真実であり、人生はそれで当りまえの事であって、不幸は間違いです。私は幸福と云う言葉を、人生の真の姿であると云う意味に用いています。不愉快な人生は間違いで、人皆快適に暮らせる社会が本当です。うき世等と云って憂鬱は人の世の常とし、それから脱却し得ないかの如く観念づける事も、正しくありません。
 真の人間は、生命を宿して親から生れ、身体に生命が宿っている間が人生であり、やがては生命を失ない生活が止まるもので、その生存期間中に、いろいろな行為をします。
 この行為は、人によって皆同じでなく、自発的の場合と、他からの条件によって意識的に、或いは無意識的に進行します。その間の行為の結果が、一時的に終る事や、永く残るものもあり、役立つ事や、案外間違っている事もあり、残ったものが完全に消滅し終る迄は、その人は死んでも、その行為は生きている理になります。
 人間に限らず他の動物も、何かの行為をして、何かを残しますし、殆どよく似た生活環を営むものもあり、人間の持たないものを、他の動物が持っているように、人間も亦、他の動物の真似られない特徴を具えています。
 又人間のうちにも、それぞれ異った能力、特技があり、他の及ばぬ優れた働きが出来ます、何事によらず良く出来る人や、他の事は人に劣っているうちにも、ただ一二の点で最も鋭敏な人や、善良な資質を具えている人もあり、皆それぞれの持ち味によって、社会的持ち場や生き方も異う訳で、自分に最も適した、他に真似の出来ない生き方をすることが、一生を意義あらしめた事になります。
 先天性のもので、一応如何ともなし得ない点は別として、環境的に伸ばし得るものは、大いに伸ばし、一番必要とされる役割に就く事が本当です。
 力のないものが重荷を負うことや、物覚えのよくない人が、記憶力の要る持ち場に就けば、苦労が多くて効率が上がらず、快適とは云えないでしょう。男は男として生き、女は女に適した生き方こそ、幸福な人生です。
 それに、他の生物や、物品や、機械や、仕掛けをしておけば自動的に、或いは自然的に出来ることや、薬品で簡単に済まされる事を、人間がその代替的に働く事は、人間を人間として生かしたことにならないから、真の人生ではなく、人間でなければ出来ない事を成すことこそ、最も高い真実の人生であり、それを成し得る社会を、幸福社会と云います。
 又老人・子供にはそれぞれの生き方があり、病人も亦病人としての、最適な生き方があります。
 私は人が人を殺す行為は、絶対に否定するものですが、そうした場合や、病気等で死期を知り、又は老後になって初めて本当の人生を悟り、それからが、有意義な幸福な真の生き方に転換する人もあり、そうした人をも幸福にする社会が、幸福一色の快適社会であります。

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