quinta-feira, 5 de novembro de 2009

16.百万人のエジソンを

−−− 千万人のシャカ、キリスト、
       カント、マルクスに優る人を

 私はキリストや釈迦が遺した足跡を、直接見ていないから、後世の人達よりの、間接的資料から観たものに過ぎませんが、彼等は先天的に相当優れたものを、持って生れていたやに想像しても、間違いないと思っています。
 又あの人達でなく共、あれ等の人に劣らぬ人も、世界の各所に実在したと思いますし、その秀でた因子は、直子は無く共傍系にあったものが、現代の誰かに組み合わされて、伝承されてあるかとも思われます。
 今彼等と同じ又は、彼等以上の優秀な遺伝子を持って、よき機会に恵まれた人が、百万人一千万人と実在したなれば、世界はどんなに変るでしょうか。そして、白痴・低能・狂暴性・悪疾病遺伝子の人達に置換されたなれば、物心両面の幸福条件・社会風潮等を、如何に好転さすかに思い至るなれば、何を置いても、この人間の本質改良に出発せざるを得ないでしょう。
 かのフランクリンやエヂソンの頭脳が、ああした環境・機会を得なかったなれば、今日の物質文化は、何処に止まっていることでしょう。一人の頭脳は、連鎖関連的に全世界を一変するでありましょう。
 世の女が皆、クレオパトラの鼻や、楊貴妃に成っても妙味は無いが、創造の神とやらは、余りにも不公平で、才色美麗、孔雀の誇りに鳳の高さを兼ね与え、一方梟眼にアヒルの無様さ、かける翼も、さえずりさえも与えられない醜女の一生を歎ぜしめる無慈悲さは、私には辛抱し切れないのです。せめて赤い牡丹にない紫を可憐な菫に、香を白梅に、与えられるように、色とりどりのよさ美しさ、持ち味が保てるようにはしたいもので、自他の好まぬ劣悪因子をなくして、親は至らぬ子に心を苦しめ、子は境面にため息する哀れから、解放しなければ可愛想でしょう。
 美醜の標準、賢愚・優劣の限界は定め難く、巷の碑女も、絶海の孤独ものには又なき美女となったり、二世の契りの仲でも、突然紛れ込んだ美しい白鳩に眩惑される不安定性もあり、田舎初段の天狗も、兄弟子には手も出ないように、上には上があったり、何れかに一線を設ける訳には行きませんが、少なく共、大差を無くすることで、そうする場合、低きを再び繰り返さない方法を採ります。
 遺伝因子には、その殆どが劣悪形質遺伝因子であっても、一個又は数個の優秀なものを含んでいることもあり、それを抽出して、他のそれに劣った因子に置き換える組み合わし法によって、悪質を除去して固定したり、場合によると、劣性優良形質二個を組み合わせて、一代特別子を造ることも可能です。

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