quinta-feira, 5 de novembro de 2009

7.云いかけて云わないことと後編発行を遅らせている理由は

 私は山岸式養鶏法の中の、農業養鶏編の前編のみを出して、後編を未だ出して居らないから、各地から問い合わせや申込が沢山参りますが、これは何時発行出来るか未定です。
 私は出来る事なれば、出さずに済ませ度いと思っているのです。
 後編を出せば少々は儲かりますが、それは親切に見えて、実は真の親切でない事になります。育雛40日迄は実に易しく、誰の目にもその良さが解りますが、それ以後になると、追々と技術的に経済的に複雑さを加え、損益の岐路は実に微細な処にあり、世の多くの人達は、養う養鶏や、儲からん養鶏や、損するための養鶏をして忙殺されて、最後は空鶏舎と借財が残る養鶏法をしています。
 私共は生産者も、消費者にも都合のよい鶏卵を5円にして、皆が豊かに仲よくなる運動をしていますのに、5円になった途端に、鶏舎が物置になっては、仏創って魂入れずで、最終目的から外れることを知っています。
 今迄の例から行くと、鶏界が不況になって、一番先に鶏を売るのは農家です。
 専業家を圧迫したり競争するものではなく、提携して5円に卵価を引き下げるよう、相共に協力しなければなりませんが、養鶏は一つの産業で、仲々甘い事では専業家の技術には及ばないです。三年五年と年期を開けた人や、養鶏書片手に幾年も失敗や損を重ねて、高い月謝を注ぎ込んだ人に、直ぐ高慢やになる百姓頭では、従いて行けませんよ。
 毎日昼夜鶏に付き切りで専心打ち込んでいる専業者に、百姓や何かの片手間で肩を並べて行けるものですか。
 鶏の方に力を入れると、稲作が留守になる。試みに白レグを飼って、秋に穫り入れに力を入れて、給餌時間が遅れたり、早過ぎたりしただけで、どれほど応えるか、利益の裏側には損失があり、一辺に換羽にかかり、長期休産することがあります。忙し過ぎる農家の実態と、忙しい時の農家心理に合わさないと、思わぬ損をしますよ。
 餌についても、小麦が安く糠類が高くなったり、毎日変動し、専業家は目を光らして利巧に機敏に入手し、生産物の販売も百姓とは一寸上手にやります。
 共同購販の機械的な操作と違い、活きた商才で、動く相場を掴みますから、この点だけでも専業の人に後れを取ります。
 稲作に毎年風とか水とか、品種・日照・肥料と、一難去って又一難、昔から知らぬ病気や変な虫が渡って来たり、倒伏等があるのと同様に、養鶏もそれ以上で、変動の多い飼料や、生産物価格に対し、活字の本を読んだり、講習をたまたま聞いたり、他を見たりした悪自信で伸びた天狗の鼻は、いとも簡単にポキリです。
 今の様な好条件の時に、フラフラ迷い出している幽霊は、早く足を生やして大地にシッカリ立たなければ、不況の嵐に真っ先に消えて無くなりますよ。
 専業家は、農家の手の届かない特徴と手腕で、専業として経営し、農家は、専業家の真似られない独特の長所を生かし、忙しくとも技術が無くても、商才が乏しく共、規模は小さく共、立派にやって行ける組織を持つ事です。
 しかも権利だ義務だと、ゴツゴツ法律で固めた、動きの取れない器物的なものでは、絶対駄目で、心の堅い結束による総親和の大組織が物を云います。
 専業部の人々と提携して、種鶏を大組織で改良し、組織の中の
孵化場で孵化し、組織内の飼料商から委せる良心的な餌を買い、組織を通じて生産物を消費者に贈ります。全部一貫的に血の通った産業とし、一日も早く1個5円の鶏卵を有利に生産し、生産者も消費者も、生活を豊かにすることです。
 以上のように、諸種の条件を揃えねばなりませんから、本に書いた位でそれを取り入れて経営されることは、却って中途半端な線に止まり、5円の線が来た時、絶対決定的と安心出来ませんから、育雛及びそれに関連する必要な部分だけを出した訳で、其の後は、お互いの自力により力を付け乍ら、且つ心温まる会の組織を拡充し乍ら、その間研鑽会や、諸種の機会を通じて、私の云いかけて相済まぬと心中詫び乍ら、心ならずも云えない秘匿・温存する技術其の他全部を、発表することを、私はここに確約し、会員相互の血の繋がる立派な揺がぬ技術と経営と組織とにより、豊富に安価に鶏卵肉を生産し、農産物を豊穣にして、商工官民とも相協力して、世界の幸福につづく、日本の全国民の健全なる生活を護り、親愛快適なる社会を齎そうとする意図に外ならないのです。

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