quinta-feira, 5 de novembro de 2009

1.真実の世界

 ヤマギシズム社会を、最も正確に、簡明に、云い表わすものは「真実の世界」であります。
 幸福社会・理想郷・天国・極楽浄土等呼ばれるものも、言葉の上では、これと同じ意味を寓した場合が多いでしょうが、実態においては、他の云われる社会との相違は、極端なものがあると思います。
 併し又私も、真実の世界の謂として、便宜上それ等の言葉を用いますが、仮や、ごまかしや、空想的なものでなく、絶対変わらない一つ限りのものを目指しています。
 人間社会のあり方について、一つの理想を描き、それが実現した時、又その上に、次の理想が湧いて来るなれば、先のは真実の理想社会で無かったと云う事です。
 幸福についても、真の幸福と、幸福感とがあり、真の幸福は、何時になっても変らないものであるが、幸福感は、場合によりでありまして、或る人には、或る社会では如何にも幸福に思っていても、他が迷惑したり、中途から不幸に変るなれば、真実の幸福でなかった事になります。
 不幸な人が一人も居ない社会、何時迄も安定した幸福社会が本当のものです。
 誰の心のうちにも、社会組織にも、うそ、偽りや、瞞着の無い事が肝要で、判らない事を、架空的な、こじつけ理論で組み建てた社会等は、やがては崩壊する惧れがあり、真実の世界ではありません。
 物財を求めていたものが、財産を掴んだ時や、地位・名声を望んでいた人が、それを得た時、無上の幸福を感ずることがあったとしても、それが安定した真実の幸福と云い切る事は出来ないでしょう。
 又何一つ病気にもならない健康体で、働けてあることは、幸福条件の一つとは云えましょうが、これも場合によると、病身の人より不幸の事もありますから、真実の働きをしているかどうかを、知らないと意外の事もありましょう。
 農業者が真の農人でなかったり、商人が真の商人でなかったり、政治・教育・宗教家が真のそれでない事もよくある事です。工場等でも、組織そのものにも、間違ったものがありますが、各々の立場において、真実、それに自己を生かすことによって、闘争等絶対に起るものではなく、却って工場は繁栄し、自己を豊かにします。妻は妻、夫は夫、子に対しての親は親として、間違いない真の生き方があります。
 各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会を、ヤマギシズム社会としているのです。

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