quinta-feira, 5 de novembro de 2009

5.悪平等を押し付けぬ社会

 自由・平等は、人間社会を組織する原則として、間違いないとするものですが、似而非自由や、悪平等が往々にして行なわれ、真の平等が曲げられ、真の自由から逸脱して居るようです。
 如何に自由と云っても暴逸ではなく、人間としての可能範囲の奔放で、堰堤をきったり、住家に火を放ち、人を傷つけあやめたりすることは、既に狂いから起る間違い事であり、日常の小事のうちにも、気付かぬまま誤った自由の云われ、行なわんとされつつある事が多々あります。
 行ける所へ、行き度い時に行く自由、寝たい時に寝られる自由、ある人は食べ、ある人は食べられない不都合や、食べたくないのに、食べさされる悪平等に妨げられない自由が、真の自由と云えましょうし、そうした自由の社会を目指しているのです。
 平等にしても、誰もが同じ大きさの家に住み、同じ衣服をまとい、同じ物を同じ量たべて、同じ作業をし、又は同一の考え方を押し付けたりするのは、悪平等で、誰でもが、どんな家にでも棲み得て、身に合う衣服を着、胃の欲求に応じて食を摂り、心身が充分に休まる丈眠って、起き度い時に起きる等の自由が、平等に得られる事が、真の平等だとします。或る人々に得られ、他の人に同じ機会を得られない仕掛けは、不平等で、今の社会機構には、こんな不平等が、甚だしく横行している模様です。
 感情を抑圧されたり、職業や、居住地を制限されたりする不平等や、悪平等も一掃して、誰にも同じ条件と、均しい機会によって、各々の個性に適合した環境に生活し、その要求が充たされる社会こそ、正しい社会です。ところが今日未だ、これさえ解決して居ず、大きな根本的欠陥や、不合理面が甚だしく、私共はこれの訂正に着手したのが、本会の組織及び活動となって、表面化して来たのです。
 口に自由・平等・人類の幸福を唱え乍ら、現状を肯定又は看過し、これを行ないに現わさねば、云わざるに如かずです。

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